大橋紀宏 氏

【進行 市浜光晴専任幹事】

【会長挨拶 中浦政克会長】

能登準倫理法人会の仲間が100社に到達し、10月6日に設立式典を開催できることとなりました。七尾市倫理法人会の皆様をはじめ石川県内の倫理法人会の皆様に感謝申し上げます。
私は時計を持ち歩かないので、時間を感覚に頼ることにしています。また、時計がなくとも今の社会にはありとあらゆるところに時計がありますので不便な思いはありません。しかし、先日、次男と銭湯に行き体重計に乗ると3キロ太っていました。自宅の体重計が正確さを失っていることに気づかず自分が太ったのも解りませんでした。時間の感覚の話に相反するような管理不足で恥ずかしい思いをしておりますし、基準となるものが正しいのか確認する大切さを学びました。

【会員スピーチ 高名由美子副会長】
震災のあと総持寺祖院で講演会を開催させていただいた折からのご縁をいただいております大橋様のお話を楽しみにしております。

【講話 大橋紀宏 氏】大本山總持寺祖院単頭兼維那 前田利家公両親菩提寺 長齢寺住職

演題:六根清浄(どっこいしょ)

曹洞宗寺院で生まれ、若くして寺院を継ぐ事から総持寺との関係が生まれ、現在に至っております。曹洞宗は現在、横浜市總持寺福井県永平寺町永平寺大本山とし、現在日本全国で1万5千の寺院があります。現在の石川県輪島市總持寺は明治時代に移転後、曹洞宗祖院として、また修行僧の教育の場として現在に至っております。
2年前に発生した能登半島地震震源地に近い事もあり、總持寺にも多大な被害をもたらしました。現在も修復作業中でありますが、完全復興までにはまだ数年を要します。
現在の社会においても宗教は宗派を越え大切なものであり、修行僧の学びの場でもある總持寺の復興は、観光資源の復興と言う意味以外でも非常に大切な事と考えております。

 宗教とは、宗=極める 教=教え と考えます。

 六根清浄(ろっこんしょうじょう)⇒“どっこいしょ”の起源
  眼 ― 形のあるものや色を識別する
  耳 ― 声や音を聞く
  鼻 ― 香りを識別する
  舌 ― 味覚を識別する
  身 ― 触れる
  意 ― 法とは今五根で触れている様子

「どっこいしょ。」この言葉は年齢を重ねるごとに、使う頻度が自然と多くなる言葉ではないでしょうか。
この言葉は「六根清浄」という言葉が、行者の方々が霊山と言われている富士山等を登るときに、「六根清浄」と唱えながら登って行くうちに、だんだん疲れ、言葉がなまって「どっこいしょ」となった言葉です。
仏教用語であり、禅語でもあります。般若心経というお経にも出ています。
この言葉は修行僧の、いや、人間として全員にあてはまるもっとも基本的な大事な教えです。
六根とは、誰もが兼ね備えている私たちの身体の機能です。
六根「眼、耳、鼻、舌、身、意」この機能は次のような働きをします。
それを六境「色、声、香、味、触、法」といいます。
『眼』には色々の形あるもの色の付いたものが、私達の考え方抜きで観えます。文句は言いません。
『耳』も音声を聞いて『鼻』も香りを嗅いで、『舌』も味を感じて、『身』もいろんなものに触れても文句は言いません。
それが、人間の法 すなわち法則です。誰もが等しく持ち合わせています。
人間が迷っていないことを、実感できる大事な法則です。教えです。
よく『悟る』といいますが、『悟り』はこれから難行苦行して持ち得るものではありません。
『悟り』とはだれもが「六根清浄」で持ち合わせていると気がつくことです。
もっと具体的に言うと、たとえば、『耳』は「ばかやろう」と言われても文句は言いません。
聞き流しています。
どこにその言葉が残っているのだろうか?よく自分自身を観察してみてください。
自分自身の頭の中だけです。
人間は、『今』しか生きていません。なのに、わずかに感じた後、瞬時に過ぎ去った過去の言葉を追いかけ、頭の中に留めて、いろいろ詮索して思い悩むのではないですか。
その思いが、迷いの根源です。
この人間の機能は清浄です。迷いは残しません。だから皆、救われた生活をしています。
「あーどっこいしょ」 これほど救われた道はあるだろうか。

【事務報告 真酒谷浩文事務長】

【誓いの言葉 高秀壱幹事】